<古代の漁域>三陸での捕鯨の歴史、っていうお話(後編)
近代捕鯨始まりの地・鮎川。
捕鯨の最盛期を経て、クジラの観光の町へ!
まいどおおきに。
大阪の中央卸売市場で鯨肉の仲卸をやってる高浜康子です。
こないだ、ちょっとびっくりしたニュースがあったんです。
商業捕鯨を認める国のひとつであるアイスランドが、商業捕鯨禁止に向けた法案を来年2月に提出する予定やねんて。
もしかしたら将来、商業捕鯨を続ける国は日本とノルウェーだけになってしまうかも。
今後の続報には注目しとってな。
さて今回も、三陸の捕鯨文化や歴史について。
前回は、「クジラの町」宮城県石巻市鮎川が第二次世界大戦後の食糧難を支えるようになったところまで紹介しました。
1950年代は、日本の捕鯨産業の黄金期。
鮎川では大型捕鯨も小型捕鯨もさかんで、浜も大いににぎわい、鮎川の捕鯨がテーマの映画も公開されたんやて。
主演はあの高倉健さん!
すごいよね~!
商業捕鯨の中止や再開を経て、時代の移り変わりとともに、鮎川の捕鯨文化も変化の時を迎えてるそうです。
今回も「おしかホエールランド」で学んだことを参考にさせてもらってます。
ちょっと読んでみたって~。

※写真はPhotoACより
<参考サイト>
・アイスランド、商業捕鯨禁止に向けた法案提出へ
・おしかホエールランド
【目次】
町がクジラー色だった!戦後の黄金時代
捕鯨産業が空前の好景気を迎えたのが、1950年代。
そして1960年前後には日本の南氷洋捕鯨がピークを迎え、捕鯨頭数で世界一を達成し、南氷洋捕鯨に参加した牡鹿町民も400人を超えていたそうです。
沿岸捕鯨では、マッコウ鯨などの沿岸大型捕鯨が最盛期を迎えていました。
ミンク鯨やツチ鯨などの小型捕鯨も、沿岸捕鯨実績で全国トップを誇ったとのことです。
3つの大手捕鯨会社があった鮎川では、昼夜を問わず解剖作業が行われたそうです。
湾内には大型の捕鯨船がひしめき合い、桟橋にはミンク船や金華山や離島を結ぶ客船が絶え間なく着岸するほどだったとのことです。
浜のメインストリートには、旅館や映画館、芝居小屋、東洋一と言われたキャバレーもありました。
1951年には、鮎川を訪れた作家・坂口安吾氏が「牡鹿半島の突端に都会の風が吹いている」との一文を「文藝春秋」に寄稿したほどにぎわっていたようです。
同じく1951年、東京大学の平田森三教授が、銛の先端を平らにすると摩擦が増え水中で直進することを発見しました。
鮎川に造られた発射台で繰り返し実験が行われ、考案された平らな銛は「平頭銛」と呼ばれました。
この発明でクジラの命中率は格段に上がり、「平頭銛」は世界でも採用されるようになり、その後は捕鯨業界のスタンダードとなっているそうです。
1957年、鮎川を舞台に捕鯨で生きる男たちを描いた映画「鯨と斗う男」が公開されました。
若き日の高倉健さんが、クジラ捕りに命をかける海の男を熱演。
庶民の暮らしや港、事業場、町並みや祭りなど、捕鯨で最もにぎわった頃の鮎川の風景が描かれています。
全国から仕事を求め多くの人々が鮎川に集まり、町の約8割の人が捕鯨に関わる仕事をしていたと言われています。
捕鯨船に乗りクジラを捕る人、揚がったクジラを解剖する人、捕鯨会社で働く人、クジラの工芸品を作る人、クジラの肥料を作る人など、様々な仕事がありました。

<参考サイト>
・おしかホエールランド
時代の流れとともに転換期を迎えた捕鯨のまち
1970年代に入ると、国際世論が捕鯨禁止に傾き始めました。
環境保護運動の一環として捕鯨反対派の動きが強まり、クジラは環境保護のシンボルとされるようになりました。
1982年、IWC(国際捕鯨委員会)は販売目的にクジラを捕獲する「商業捕鯨」を一時的に停止することを決定。
日本は異議申し立てを行いましたが最終的にこれを受け入れ、資源管理のための科学調査を行う「調査捕鯨」に切り替えました。
このような時代の流れに影響を受け、鮎川の捕鯨は、資源管理に必要な科学調査の最前線として、同時に地域を支える観光資源として、変化を余儀なくされます。
女川町と鮎川浜を結ぶコバルトライン(県道牡鹿半島公園線)が1971年に開通し、鮎川には多くの観光客が押し寄せるようになると、鮎川は「捕鯨のまち」から「クジラの観光のまち」へと、少しずつ姿を変えていったそうです。
1934年の操業開始以来44年間、鮎川の捕鯨の中心的な役割を担ってきた大洋漁業株式会社は、1977年の漁期をもって撤退しました。
この事業場跡地には1990年、牡鹿の捕鯨をテーマにした「おしかホエールランド」が建ち、再びクジラと鮎川をつなぐまちのランドマークとして生まれ変わりました。
敷地内には、かつて南氷洋捕鯨をはじめ船団の主力船として活躍した大型捕鯨船「第16利丸」が陸揚げ展示され、クジラのまちのシンボルとして多くの観光客を出迎えました。
商業捕鯨停止後の鮎川は、クジラを地域資源とし、それを強みに多くの観光客に訪れてもらえるまちづくりを進めていったとのことです。
1992年には財団法人日本鯨類研究所が鮎川に実験場を開設し、2003年からは鮎川を基地に三陸沖でのミンク鯨の調査捕鯨が始まりました。
2011年の東日本大震災で発生した大津波では、おしかホエールランドの建物も全壊し、展示の大半が流されました。
唯一、奇跡的に無事だったのが「第16利丸」でした。
震災後、「第16利丸」の堂々たる姿は復興へと立ち向かう人々の励みとなり、復興の象徴として「おしかホエールランド」再建への道を後押しする存在となったそうです。
2019年、日本は31年ぶりに商業捕鯨を再開しました。
母船式捕鯨は下関市から、沿岸小型捕鯨は釧路市から出港。
全国の沿岸小型捕鯨6社5隻が船団を組み、釧路港から出漁する中には、ここ鮎川を本拠地とする株式会社鮎川捕鯨の姿もありました。

<参考サイト>
・おしかホエールランド
地元資本の捕鯨会社が消失、文化伝承に危機感
2026年6月26日、株式会社鮎川捕鯨が、海水温の上昇などで不漁が続き業績が悪化したことなどにより自己破産を申請しました。
鮎川捕鯨は、商業捕鯨が中止され大手事業者の撤退が相次ぐ中、2008年に地元の捕鯨会社など計5社が経営統合して設立された企業です。
宮城県沖や北海道沖で操業し、ミンク鯨やツチ鯨などを捕獲して生肉や缶詰の販売をしていました。
また、学校給食への鯨肉提供や全国鯨フォーラム開催への協力など、地域貢献も果たしていたそうです。
2011年の東日本大震災の津波で工場などを失いましたが、2012年11月に工場を再建するなどして操業を続けていました。
宮城県内で捕鯨を行うのは、鮎川浜に事業所を置く、千葉県の外房捕鯨のみになったとのことです。
国内有数の捕鯨基地から地元資本の事業者が姿を消すことになり、地域には驚きの声と文化継承への危機感が広がっています。

<参考サイト>
・座礁 鮎川捕鯨破産(上) 衝撃 地元資本の消失、危機感
・座礁 鮎川捕鯨破産(下) 激変 高水温、政策転換で苦境
・宮城・石巻の捕鯨会社「鮎川捕鯨」が破産申請、地元資本に終止符…捕鯨文化継承へ危機感
《クジラの豆知識》クジラの行動
クジラの行動には、興味深いものがいろいろあります。代表的なものを紹介します。
【仲間同士で協力する】
ハクジラ類で最大のマッコウ鯨は、群れを作り集団で移動し、シャチなどの天敵に襲われそうになると、仲間と花形の円陣を組んで、尾びれを外側に向け子どもを輪の内側に入れて身を守ろうとするそうです。
尾びれを振って天敵を脅やかし、追いはらおうとすることもあるそうです。
【チームプレーで狩りをする】
ヒゲクジラ類のザトウ鯨は「バブルネットフィーディング」と呼ばれるチームプレーでエサをとります。
まず数頭がエサである小魚の群れの下に潜り、噴気孔(鼻の穴)から空気を吐き出しながら取り囲むようにぐるぐると泳ぎます。
吐き出した空気の泡が円筒状の網のようになって小魚の群れを水面近くへと追い込むため、その下から大口を開けて一気に海水ごと口に含むことで、一度に大量のエサを食べることができるそうです。
【音を使って周囲を調べる】
ハクジラ類のクジラは、音を使って周囲の状況を知ることができる特殊な能力を持ちます。
人間の耳では聞きとれない「超音波」と呼ばれる高音をおでこから出し、物に当たってはね返ってきた音(反響音、エコー)を下あごでキャッチし内耳で聞きとることで、物の位置や形などの情報を知ることができるそうです。
ハクジラ類のクジラは、この「エコロケーション(音響定位)」と呼ばれる仕組みを使い、暗くて見通しの悪い海の中でも周りを探りながら上手に獲物を捕らえるとのことです。
【水面でのパフォーマンス】
ホエールウォッチングでは、クジラのいろいろな姿を観察できます。
それぞれの行動には名前がついていて、ひとつひとつに意味があります。
例えば「スパイホップ(偵察)」は位置の確認、「尾びれたたき」は音を出して仲間に合図している、など。
中には「ブリーチング(跳躍)」のように、なぜそのような行動をするのかまだ解明されていないものも。
仲間への合図、オス同志のけんか、体についた寄生虫を落とすため、などの理由が考えられています。

※写真はPhotoACより
《クジラの美味しい部位をご紹介㉓》脂須の子

「鹿の子」「尾の身」とならび、鯨肉の三大高級部位として挙げられる「脂須の子」。
クジラの胸びれ(手羽)の付け根にある、鮮やかな霜降り状の部位です。
一頭から取れる量がとても少ない希少部位で、脂の乗りがよいのが特長。
尾の身に比べると少し硬いですが、かみごたえがあり、お刺身で食べると脂の甘みや特有の旨みを味わえます。
ステーキにもおすすめです。

<参考サイト>
・鯨 最高級 脂須の子 300g
・脂須子【あぶらすのこ】(ナガス鯨)
《おうちでも簡単!鯨肉実践レシピ㉓》鯨じゃが
家庭料理の代表格である肉じゃがを、鯨肉でつくってみませんか?
鯨肉消費量全国一位の長崎県では定番のメニューだそうです。
鯨肉ならではの旨みが、ジャガイモや玉ねぎと相性バッチリですよ!
紹介した脂須の子を使っても美味しいですよ〜。
《鯨じゃがの作り方》
【材料】(4人分)
・鯨肉:100g
・タマネギ:1/2個
・ジャガイモ:2個
・ニンジン:150g
・サヤエンドウ:2個
・結び糸コンニャク:4個
・サラダ油:大さじ1
・水:300㏄
・砂糖:大さじ1
・酒:大さじ2
・みりん:大さじ2
・醤油:大さじ1
【作り方】
・鯨肉は食べやすい大きさに切り、下茹でする。
サヤエンドウ、結び糸コンニャクもそれぞれ下茹でする。
・タマネギはくし切り、ジャガイモとニンジンは乱切りにする。
・鍋にサラダ油を入れ、タマネギ・ジャガイモ・ニンジンを中火で炒める。
・鯨肉とコンニャク、水を加え、沸騰したらアクを取りながら、蓋をしてジャガイモに火が通るまで弱火で煮る。
・調味料を加え、蓋をして5分ほど煮る。
・器に盛り、サヤエンドウを添えてできあがり。

<参考サイト>
・農林水産省「うちの郷土料理」鯨じゃが 長崎県
・くじら肉じゃが
<高浜商店の美味しい鯨肉>
ナガス鯨 畝須(ウネス)
超希少なナガス鯨の畝須(ウネス)1㎏【不定貫】です。
ナガスくじらの生畝須です(鯨ベーコンの元)。
噛み応えがあり甘みがあり、数ある鯨肉の中でも昔から人気の部位(鯨の顎髭の部分)です。
生畝須は鮮度が良いので刺身可です。
ほとんど凍った状態(表面が溶け出すと薄く切りづらい)で薄くスライスにして、生姜醤油、にんにく醤油、柚子胡椒醤油などでお召しあがりください。
とても旨味があり、絶妙な味を堪能できます。
さっと火を通してポン酢や酢味噌で。
はりはり鍋もおすすめですが、すき焼き、しゃぶしゃぶ鍋などサッと火を通して召し上がると絶品です。
火を通しすぎると身が堅くなるので、お気を付けください。

<高浜商店の商品紹介>
【不定貫】ナガス鯨 畝須(ウネス)1㎏





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