<古代の漁域>三陸での捕鯨の歴史、っていうお話(前編)
- kujira-takahama
- Aug 16
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Updated: 20 hours ago
小さな漁村から、一大捕鯨基地となった鮎川。
戦後の食糧難を支えた「クジラの町」の歴史とは?
まいどおおきに。
大阪の中央卸売市場で鯨肉の仲卸をやってる高浜康子です。
夏は、全国から捕鯨漁のニュースが聞こえてきます。
千葉県房総市和田地区の和田漁港では、7月14日に今季初のツチクジラが水揚げされたんやて。
また北海道の釧路港では、8月1日にミンククジラが初水揚げ。
太平洋側の商業捕鯨は10月末まで予定されてるそうです。
新鮮で美味しいクジラを、多くの人に味わってほしいわぁ!
さて今回は、三陸の捕鯨文化や歴史について、色々調べてみました。
宮城県石巻市鮎川は、金華山沖にマッコウ鯨が多くいたことから、戦後、捕鯨会社が集まり、国内最大の捕鯨基地として栄えた町。
住民の約8割がクジラに関わる仕事をしていたとも言われてるんやて。
1950年代には年間2000頭以上のクジラが水揚げされていたそうですよ!
現在でも捕鯨会社があり、地域の伝統を守りながら鯨肉を全国に届けている「クジラの町」なんです。
鮎川浜にある「おしかホエールランド」という施設では、クジラの生態や特徴、牡鹿半島における鯨文化などを知ることができるんですよ。
今回はそこで学んだことを大いに参考にさせてもらってます。
ちょっと読んでみたって~。

<参考サイト>
・ツチクジラ漁始まる 南房総市の和田漁港 体長10メートル、今季2頭目水揚げ(千葉県)
・ミンククジラ、北海道釧路市で初水揚げ 「やっと捕れてほっとした」
<参考>
おしかホエールランド
【目次】
全国から捕鯨会社が集まり、一大捕鯨基地へ
金華山沖は、古くからクジラが多く集まる場所として注目されていました。
江戸時代の記録では、仙台藩が先頭に立ちクジラ漁が試みられたことが分かっており、1837年(天保8年)に仙台藩が設けた「捕鯨取開方」には鮎川も携わっていたそうです。
当時の捕鯨は、銛で突いて捕る「突き取り式」と呼ばれる原始的な方法でした。
しかし必要な資金が続かず、藩の産業としては定着しなかったとのことです。
1906年(明治39年)、寄磯浜の漁業家・遠藤栄四郎は、捕鯨銃を使ったアメリカ式捕鯨法を提唱し、鯨油を取るためアメリカ式の新鋭捕鯨船「金華山丸」で操業を行いました。
しかし遠藤栄四郎の事業は捕鯨法の調査や改良が不足しており、1909年(明治42年)に廃業となりました。
遠藤栄四郎が事業を興したのと同じ1906年、下関市の捕鯨会社「東洋漁業株式会社(現ニッスイ)」が金華山沖での漁のため鮎川に事業場を構えたことから、牡鹿の捕鯨文化が幕を開けました。
東洋漁業は、日本で初めて捕鯨砲を使った「ノルウェー式捕鯨法」を導入し、成功を収めていました。1907年(明治40年)には日本で初めて、スリップウェーによる陸上解剖法を開発したそうです。
ノルウェー式捕鯨法は、捕鯨砲を用いて大型のクジラを捕るという新しい捕鯨方法でした。
当初、捕鯨船はノルウェー製で捕鯨砲を扱える人材もいなかったため、ノルウェー人砲手を雇い操業しながらその技術を習得していったそうです。
やがて国内の捕鯨会社の多くが、東洋漁業の後を追って鮎川をはじめ小渕浜や荻浜などに事業場を開くようになり、各所に点在していた事業場も、漁場にもっとも近い鮎川に集約されていきました。
小さな浜には何隻もの巨大な捕鯨船が停泊するようになり、鮎川は日本有数の一大捕鯨基地になっていきました。
捕鯨会社の進出により、鮎川にはクジラに関わるさまざまな産業が生まれました。
中でも、クジラの廃棄物を利用した産業が発展したそうです。
1907年(明治40年)には、日本で初めて鯨皮などから鯨油、ゼラチンの製造が開始され、鯨肥工場が操業を始めました。
1908年(明治41年)、東洋漁業が日本で初めてクジラの缶詰製造に成功しました。
当時、捕鯨会社は食用の鯨肉の生産に追われ、廃棄物の処理に苦慮していました。
1909年(明治42年)、地元の人々がそれを買い取って、鯨油や肥料などの生産に乗り出したことにより、捕獲したクジラを余すことなく利用できるようになったとのことです。

<参考サイト>
・鮎川くじら本舗 生くじら肉の魅力 日本で獲れるくじらって?
沿岸小型捕鯨と、南氷洋に進出した母船式捕鯨
1933年(昭和8年)、和歌山の太地出身の長谷川熊蔵が、鮎川沿岸でミンク鯨の捕鯨を始めました。
大型捕鯨船の船長の経験を持つ長谷川熊蔵は、太地から持ち込んだゴンドウ鯨漁用の小型船を改良して試験的な操業に挑んだそうです。
これが、のちに鮎川で続いていく小型捕鯨の始まりです。
やがて住民の中にも小型捕鯨に乗り出す者が現れ、港には「ミンク船」と呼ばれる小型の捕鯨船が停泊するようになったとのことです。
一方1934年(昭和9年)より、鮎川に基地を持つ捕鯨会社は続々と船団を組み、クジラ資源の宝庫である南氷洋に進出していったそうです。
中でも1936年(昭和11年)の大洋捕鯨株式会社の出漁は、総勢474名の大船団でした。
鮎川のベテラン乗組員が核となり、東北地方を中心に各地から集まってきた約200名もの若者が加わっていたそうです。
1941年(昭和16年)太平洋戦争が始まると、母船や大型の捕鯨船は軍事用として国に差し出され、母船式の捕鯨は一旦中断されました。
鮎川の近海で行われていた捕鯨も捕鯨船の不足で規模が縮小されましたが、国の食糧確保のためにミンク鯨漁などの沿岸捕鯨は続けられました。
終戦目前の1945年(昭和20年)8月、港内に停泊中の大型捕鯨船3隻は鮎川を離れ、北部の雄勝湾に入って船体を隠しましたが米軍機に見つかり、3隻とも沈没しました。
戦後になると、食糧難のためこの3隻はいち早く引き揚げられ、鮎川を拠点に沿岸大型捕鯨や母船式捕鯨で再び活躍したそうです。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は国民の食糧調達を急ぐため南氷洋での捕鯨再開を認め、クジラは日本の食糧危機を救う救世主となり、鯨肉は全国に配給され、国民の栄養状態を改善しました。
鮎川の捕鯨は、戦後の食糧難の時代を支えることで再び活気づいていきました。
捕鯨事業の拡大による好景気と人口急増により、住宅の建築が盛んに行われたそうです。
鮎川は、捕鯨大手3社が事業場を構え、沿岸捕鯨実績で全国のトップを続けていました。
浜はいつでもクジラが放つ匂いに包まれ、港でクジラの解剖が始まると子どもも大人も集まり見物を楽しんだそうです。
戦後の食糧難で農産物が手に入らなくなったため、多くの従業員を抱える大洋漁業が出資して、1947年(昭和22年)黒崎開拓農業協同組合が設立されました。
半島突端の黒崎に広大な農地を開拓し、豊富な鯨肥を使って生鮮野菜を生産。
人口が増え続ける鮎川の人々の生活や、捕鯨会社の操業を支えました。

現在も受け継がれる『牡鹿鯨まつり』
鮎川が捕鯨の最盛期を迎えていた1953年(昭和28年)に始まった「牡鹿鯨まつり」。海難事故者の慰霊と鯨霊供養の意をこめて開催されているお祭りです。
65回目を迎えた2026年は、8月8日にホエールタウンおしか捕鯨船前広場で行われました。
鯨まつりが始まった1950年代、鮎川には日本の大きな捕鯨会社がいくつもあり、好景気に沸いていました。
お祭りは数日間にもわたって行われ、朝早くから夕方まで町中を仮装行列が練り歩き、若い人たちから年配の人たちまで多くの見物客が通りを埋め尽くしたそうです。
回を重ねるにつれて、海にクジラの模型を浮かべて捕鯨を再現して見せる催しや、芸能人の歌謡ショー、爆音が響く捕鯨砲の射撃ショー、捕鯨船の頭上に咲いた大輪の花火大会も行われるなど、さらに大規模になり、県外からも多くの観光客が集まりました。
2011年の東日本大震災では津波で町中が瓦礫だらけになりましたが、震災からわずか2年後に、牡鹿の人々は鯨まつりを復活させました。
今も、鯨まつりで町の人々の心はひとつになります。
時代が変わり浜の姿が移り変わっても、クジラとともに歩んできた牡鹿の姿がそこにあります。

<参考サイト>
・牡鹿鯨まつり
《クジラの豆知識》クジラの回遊
世界中の海で暮らすクジラの中でも、ザトウ鯨やミンク鯨などヒゲクジラの仲間には、季節によって移動しながら生活する習性を持つものが多いです。
このように季節にともない移動することを「回遊」と呼びます。
クジラが回遊するのは、繁殖・子育てのためだと一般的に考えられています。
夏の間は、エサとなるプランクトンなどが豊富に生息する寒い高緯度海域でスタミナを蓄え、秋になると暖かい低緯度海域へ移動します。
冬の間はほとんど何も食べずに出産や子育てをし、春になると再び、エサを求めて高緯度海域に戻ってきます。
この間の移動距離は1万キロ以上になることがあると言われています。
クジラの回遊のあり方は種類によって異なっており、例えばマッコウ鯨は大人のオスだけがあたたかい海から寒い海へ回遊します。
またイルカの仲間には、一年中同じ海で生活する種類もいるそうです。

<参考サイト>
・クジラの回遊について
《クジラの美味しい部位をご紹介㉒赤肉

クジラは部位によって、脂の量や食感、味わいなどが大きく異なります。
赤肉は、鯨肉の中でもっとも量が多く取れる背中からお腹にかけての部位で、赤身の中で最も筋が少なく良い部分とされてます。
くせが少ないから、初めて鯨肉を食べるという人にもおすすめ。
赤肉を使ったクジラ料理の定番には、刺身やステーキ、竜田揚げなど色々ありますよね。
刺身にすると馬肉やマグロの赤身を思わせる、くせのない味わいです。
薄めにスライスして、醤油にショウガやおろしニンニクを合わせたものや、ゴマ油と塩、ワサビ醤油など、お好みの味で楽しんでみてください。

《おうちでも簡単!鯨肉実践レシピ㉒》鯨肉の大和煮
しょうがをきかせた甘辛い味付けでごはんが進む、お酒とも相性のいいメニューです。
赤肉のすじが多い部分や皮にはコラーゲンがたっぷり含まれてるから、じっくりやわらかく煮込んで食べたらお肌プルプルになれるかも!?
《鯨肉の大和煮の作り方》
【材料】
・赤肉、皮:約300g
・料理酒:適量
・砂糖:適量(甘みを強く感じるぐらい)
・醬油:適量(少し薄いと感じるくらい)
・きざみしょうが:1握り
【作り方】
・赤肉を一口大に切り、たっぷりのお湯でゆで、さらに細かく切る。
・鍋にお湯をたっぷり入れて沸騰させ、細かく切った赤肉と、皮を入れて中火で煮込む。
・料理酒、砂糖を入れる。煮詰まってきたら、醤油ときざみしょうがを入れ、さらに煮詰めてできあがり。

※写真はAdobeStockより
<高浜商店の美味しい鯨肉>
ナガス鯨 赤肉 1級
捕鯨が再開された超希少なナガス鯨の赤肉です。
お刺身でも味わえる、希少なナガス鯨肉の赤肉1級品の500gパック(不定貫)をご用意しました。
鯨肉専門店ならではの上質な1級ランクの赤肉をご用意しています。

500gブロック肉を真空包装してお届けするので、料理方法に合わせてお好みの厚さに切ってお召し上がりください。
レアステーキなら少し厚めに切って、お刺身や炙り、タタキなどは食べやすいスライスにすれば、その美味しさをご堪能いただけると思います!
昔から人気の品種で、「鯨肉はナガスに限る!」という方もいらっしゃって、そのもちもちとした食感で独特の旨味が口の中に広がります。
生姜醤油や、ニンニク醤油につけて食べるのがおすすめです!
昔懐かしの味。栄養価の高い鯨肉をこの機会にぜひ!

<高浜商店の商品紹介>
【不定貫】業務用 ナガス鯨 赤肉 1級






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