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<古代の漁域>北海道での捕鯨の歴史、っていうお話

  • kujira-takahama
  • Mar 17
  • 19 min read

Updated: 6 days ago

アイヌの捕鯨文化に始まり、商業捕鯨の拠点として繁栄。

現在も網走と釧路が沿岸小型捕鯨の基地に!


まいどおおきに。

大阪の中央卸売市場で鯨肉の仲卸をやってる高浜康子です。

こないだネットニュースで嬉しい記事見ましたよ!

首都圏のスーパーなどで、鯨肉の刺身やお寿司が販売されるようになってきてるんやて!

ミンク鯨やナガス鯨の、赤身やベーコン、畝須などを使った商品がリーズナブルに味わえるとあって、年配の方から若者まで幅広い人に好評なんやそうやわ。

また、クジラ料理を提供する立ち飲み居酒屋っていうのもできてるんやて。

鯨食文化が全国的にどんどん盛り上がっていけばいいなあ。

楽しみですね。


ところで皆さん、「ゴールデンカムイ」ってマンガ、ご存じですか?

今、アニメとか実写版の映画になってて、主人公「無敵の杉山佐一」役の山崎賢人君はかっこいいし、「アイヌ少女のアシㇼパちゃん」役の山田杏奈ちゃんはめちゃくちゃ可愛くて、土方歳三役はなんと舘ひろしさん!と、出演者の方だけでも良い感じですよね〜

って、映画の話でなくて、この「ゴールデンカムイ」のお話はアイヌ文化がベースにあって、色々なアイヌにまつわる文化や儀式、知識などが書かれていますが、その中でクジラ(アイヌ語でフンペっていうそうです)についても書かれてるんですって。

アイヌにはクジラにまつわる伝説も残っているそうで、「フンペリムセの発祥地」というのも残っていて、昔、食べ物に困っているときに「寄りクジラ(浜に打ち上げられたクジラ)」を見つけて皆で分けて食べて助かり、あまりの嬉しさにその場で舞を舞った場所とされているそうです。

日本の西でも東でも同じように、鯨一頭でいくつもの村や人々が救われた…っていうお話が残っています。

鯨はやっぱり、ありがたや〜ですね。


フンペリムセ発祥地

さて今回は、そんな鯨文化の残る古式捕鯨の基地としても栄えた北海道の捕鯨文化や歴史について、色々調べてみました。

アイヌ文化と鯨に感謝する気持ちをあわせて一所懸命、調べました。

よければ、ちょっと読んでみたって~。


 

<参考>

・スーパーで、立ち飲みで…クジラ人気上々 低価格で大衆化【大漁!水産部長の魚トピックス】




【目次】




北海道での捕鯨の歴史


北海道の捕鯨は、本州以南の捕鯨とは別の流れで、北太平洋沿岸各地の諸民族で展開した捕鯨の一環として捉えられます。

 

6世紀から10世紀にかけ、北海道東部からオホーツク海を中心に栄えたオホーツク文化圏でも捕鯨が行われていました。

根室市で発見された鳥骨製の針入れには、舟から綱付きの銛をクジラに打ち込む捕鯨の様子が描かれています。

 

オホーツク文化における捕鯨は、毎年クジラの回遊時期に組織的に行われ、その影響を色濃く受けたアイヌの捕鯨は、断続的に行われていたと考えられています。

クジラを捕らえることは数年に一度もないほどの稀なことで、共同体全体で祭事が行われていたとのことです。

 

その後、和人が北海道に進出し、松前藩はアイヌによる捕鯨を管理し、鯨肉を藩の産物として流通させるようになりました。

さらに明治時代になると、政府によりアイヌの捕鯨そのものが禁止されました。

 

明治時代末期、日本各地でノルウェー式捕鯨法による遠中距離の漁場における捕鯨が試みられるようになると、北海道にも捕鯨会社が進出しました。

 

室蘭は、北海道で最初の捕鯨拠点として栄えており、少なくとも今から40年ほど前までは鯨ベーコンなども日常的に食されていたとのことです。

 

1915年には網走で捕鯨産業が始まり、1944年と1951年には、釧路港に大手捕鯨会社の事業場が相次いで設立され、1952年から1961年の10年間、日本を代表する捕鯨基地として全盛を極めました。

 

商業捕鯨禁止期間を経て、2019年に日本の商業捕鯨が再開され、現在も網走と釧路が沿岸小型捕鯨の基地として機能を発揮しています。


詳しい内容は以降に書いています。

 

<参考サイト>


・人々の命を繋ぐ:日本の伝統的捕鯨業の誕生


・Wikipedia 日本の捕鯨





エリアごとの捕鯨文化について


現在、北海道でクジラとなじみが深いのは、網走・室蘭・函館・釧路などです。


【室蘭】

17世紀から20世紀初頭に見られるアイヌの伝統文化では、クジラはアイヌ語で「フンペ」(フン!と音を出すものという意味)と呼ばれ、各地にクジラの伝説が残されています。

有珠のチャランケ岩には、寄りクジラの取り分を争った2人の村長が、疲れて岩になってしまったという伝承があります。

室蘭では、村人が沖にある長い岩を寄りクジラと間違え、クジラが浜に着くのをたき火をしながら待っているうちに薪を使い果たし、大切なお椀まで火にくべてしまった、という伝承が残っています。

 

アイヌの人々にとって、陸に打ち上げられた「寄りクジラ」は資源として重要視されていました。

寄りクジラを発見した村人が喜ぶさまを表現した「フンぺリムセ(鯨踊り)」は、北海道の長万部から日高、白糠までの広い地域に伝わっており、寸劇の要素も強く持った踊りだそうです(冒頭の写真)。

 

またアイヌの人々は、江戸時代まで噴火湾などでクジラを捕獲していました。

その方法は、トリカブトから採った毒を先端に塗った銛で、小舟でクジラに近寄って突くというものだったそうです(このへんのお話も「ゴールデンカムイ」の中で触れられています)。

一方で、ニシンの群れを沿岸に追い立ててくれるクジラを、恵みをもたらす存在として、むやみな捕獲を避ける風習もあったとのことです。

明治時代になると、政府によりアイヌの捕鯨そのものが禁止されました。

 

室蘭は、北海道で最初の捕鯨拠点でした。

明治時代末期から1950年まで今の室蘭水族館の場所に捕鯨会社があり、とても繁盛していたそうで、少なくとも今から40年ほど前までは鯨ベーコンなども日常的に食されていたとのことです。

下記の写真は、現在、工場跡地に建っている「室蘭民報みんなの水族館」です。



 

「室蘭八幡宮」は、「鯨八幡」とも呼ばれています。

神社の造営にあたり市民からの寄付が思うように集まらなかったところ、追直浜にクジラが漂着したので、北海道開拓使に願いでて払い下げを受けこのクジラを売った代価を造営費用にしたことに由来するそうです。

八幡宮の絵馬はクジラで、祭りの時には「鯨神の舞」という御神楽が披露されるとのことです。




 

【函館】

1857年に江戸幕府がジョン万次郎(中浜万次郎)を函館に招聘し、捕鯨技術の指導を受けたことがあるそうです。

1858年には千葉県房総で捕鯨をしていた「醍醐組」が、幕府要請を受け函館付近で捕鯨をしましたがうまくいかず、1869年に撤退しています。

またペリー来航を受け1859年に開港した函館は、三陸と日本海で操業する欧米の捕鯨船の補給基地となりました。

1862年には「箱館丸」に当時最新の捕鯨銃を積み込んで、択捉島(択捉島)付近の調査捕鯨が行われたそうです。

 

その後も、函館近海で捕鯨が行われていた事実を示す記述や絵などが残っており、供養塔も建てられています。

 

函館は1999年度から2016年度まで、日本小型捕鯨協会によるツチ鯨を対象とする小型捕鯨の基地となっており、毎年5月から6月にかけて、ツチ鯨10頭を上限に捕鯨が行われていました。

 

捕鯨船の元船長兼砲手が建立に尽力した「鯨族供養塔」には、絶滅危惧種とされるセミ鯨の模型が据えられており、年に1度、供養祭が行われています。

 

函館市など道南地域では、正月料理として「クジラ汁」を家庭でつくる習慣が今でも根付いているそうです。


※写真はPhotoACより


【網走】

5世紀頃、それまで北海道に住んでいた人々と大きく異なる文化を持った人々が、サハリン(樺太)からオホーツク海沿岸にやってきました。

この人々の文化を「オホーツク文化」と呼びます。

この人々は、クジラやアザラシなどの海獣をとり、大陸や本州との交易をおこなっていたそうです。

海で獲物を捕るための大きな舟や様々な技術を持ち、マッコウ鯨やザトウ鯨など体長15〜20メートルほどの大型クジラを捕ることができました。

大きなクジラの骨が豊富に手に入るため、多くの道具がクジラの骨でつくられたそうです。

網走市の「モヨロ貝塚」は、7~8世紀に栄えたオホーツク文化最大の遺跡で、クジラの骨でつくられた銛が多数発掘されています。

 

網走で捕鯨産業が始まったのは1915年で、主な対象はナガス鯨やザトウ鯨でした。

当時は油を取り、ヒゲを細工品として加工する以外はすべて肥料として売られていたそうです。

しかし乱獲で捕獲数が激減し、第二次世界大戦もあり、食糧確保のための捕鯨に留まるようになりました。

終戦後の1945年以降、小型捕鯨が盛んになり、食糧難もあって食用としての価値も見いだされ始めました。

1949年頃には少なくとも23隻の捕鯨船が活躍し、最大192頭を捕獲していたそうです。

 

商業捕鯨の禁止期間は、小型捕鯨会社が規制対象外のツチ鯨を捕獲していました。

2020年、オホーツク海沖でも商業捕鯨が再開され、2021年はミンク鯨18頭、2022年は同じく25頭が捕獲され、網走で解体・加工されたとのことです。

 

現在も沿岸小型捕鯨の基地として機能を発揮し、市と民間事業者で組織する「網走くじら協議会」により、捕鯨や鯨食に関する啓発が行われています。

1993年から市内の学校給食に鯨肉を提供したり、給食に合わせてクジラに関する授業を実施したりしているそうです。

また網走川の河川敷には、かつての捕鯨船「第一安丸」の一部がモニュメントとして残されています。

 

【釧路】

釧路では、第二次世界大戦中、食糧難の対策として、沿岸でのミンク鯨の捕獲が開始されました。

当時、鯨肉のおもな消費地は古くから捕鯨が発達していた西日本で、大正末期から昭和にかけての全国的な不景気を受け赤肉が食されるようになっても、東日本ではあまり普及していなかったそうです。

 

北海道庁と北海道精肉組合連合会は道内7市で鯨肉の販売を開始し、釧路市では1941年8月2日に店頭に鯨肉が登場しました。

しかし人気がなかったためか、10月には新聞でカレーライス、カツレツ、コロッケ、すき焼きなどの調理法を紹介し、消費普及に努めたとのことです。

 

捕鯨会社も鯨肉の牛肉代用品化の研究を進めており、要請を受けた釧路水産加工食料品工業組合が鯨肉の臭みを取り除くことに成功したり、帝国水産釧路工場がクジラの尾羽を使った焼竹輪の製造試験に成功したりと、鯨肉の供給に貢献したそうです。

 

1944年と1951年には大手捕鯨会社の事業場が相次いで設立され、捕鯨が本格化しました。

主にマッコウ鯨やイワシ鯨が捕獲され、1952年~1961年の10年間は、日本一の沿岸捕獲頭数を記録しました。

市内の飲食店でクジラの刺身が提供されたり、学校給食でも鯨肉のカレーが登場したりするなど、鯨食文化が広がったのもこの頃です。

 

しかし、クジラ資源の減少と北洋母船式捕鯨業の存続を優先する政策のため、1960年代に大手捕鯨会社が相次いで撤退し、釧路での捕鯨の隆盛は終焉を迎えました。

 

一方で釧路はミンク鯨を捕獲する小型捕鯨の基地として、1953年に地元の漁業者が小型捕鯨船を買い取り、その船を用いて独自に沿岸小型捕鯨を開始しました。

夏から秋にかけては毎年日本各地から小型捕鯨船が集結してにぎわっていたそうです。

捕獲したミンク鯨を洋上の船内で解剖できたため、釧路では新鮮な鯨肉を食べることができたとのことです。

 

1987年に商業捕鯨が禁止され、釧路の捕鯨の歴史はいったん途切れましたが、2002年に釧路沖で調査捕鯨が始まったことで、捕鯨の町として再スタートを切りました。

2005年には市と漁協や市場が一体となって、商業捕鯨の再開とクジラの文化を広めることを目的に「釧路くじら協議会」が設立され、鯨料理や加工品の開発、鯨学習、捕鯨史の編纂、ミンク鯨の骨格標本作りに取りかかりました。2010年からは「くじら祭り&くしろの鯨味めぐり」を開催しています。

2019年の日本の商業捕鯨再開に際しては、沿岸捕鯨船の出港式および初水揚げが行われたそうです。

現在、釧路市では9月を「くじら月間」として、鯨肉普及キャンペーンやくじら祭りを開催するとともに、学校給食への鯨肉購入の支援を行うなど、クジラ文化や鯨食文化の振興・発展に取り組んでいるとのことです。




 


上写真は釧路市内にある「居酒屋○楽(わらく)」さんと提供くださったクジラ料理。

下写真は釧路市内にある「釧路市立博物館」。

こちらには、ミンク鯨の全身骨格標本や、シロナガス鯨のあごの骨なども展示されています。




※写真は「釧路市立博物館」のもの


【浜中町】

釧路管内にある浜中町は、沿岸漁場により豊富な水産資源に恵まれてきましたが、資源状況の低迷、輸入水産物や消費の低迷による魚価安等の厳しい状況にありました。

1926年に東洋捕鯨株式会社の霧多布事業場の誘致が行われたのを機に、霧多布と浜中駅間の道路の改修がされ、輸送も馬車から自動車へと転換されました。

また、捕鯨船の入港や、関連事業、労働者の増加により町は栄え、捕鯨付加税は財政をうるおすことにつながったそうです。

日東捕鯨の鯨体処理場は1970年代まで使われ、最盛期には年間800頭以上のクジラが通過したとのことです。

鯨体処理場の跡は市街地のはずれにあり、鯨体を引き上げる斜路(スリップウェイ)が今も残っています。


他にもクジラの展示やクジラにまつわる北海道各地の施設をご紹介しておきます。


【足寄町】

「足寄動物化石博物館(フォストリーあしょろ)」では、クジラの骨格標本と化石を多く収集しており、先史時代のクジラの進化が分かる。

北海道近海に生息している現代のクジラの骨格標本で、ミンク鯨、コク鯨、ツチ鯨、マッコウ鯨、シャチ、ネズミイルカなどの標本がある。





※写真は「足寄動物化石博物館」所蔵のクジラの祖先とされる「アンブロケトゥス」の骨格標本の複製

 

【登別市】

「鷲別神社」は「鯨明神」とも呼ばれる。

1906年春、鷲別前浜に漂着した1頭のクジラの肉を、村人が近隣の村々に売り、その骨をまつる神社を建立した。


 




上記写真は鷲別神社に設置された鯨の骨(?)の一部分だそうです。



<参考サイト>


・捕鯨船のポーが鳴る町


・【新クジラ探訪記・釧路/網走編】(日刊水産経済新聞2023年2月13日掲載)


・アイヌの捕鯨文化


・日本の鯨肉食の歴史的変遷


・噴火湾と鯨


・学芸員とっておき秘話/10 市教育委員会・谷中聖治さん 室蘭の歴史にクジラあり /北海道


・函館と鯨


・函館市と捕鯨


・「釧路とくじら」について


・日本の捕鯨文化


・「釧路とくじら」について


・室蘭八幡宮


・鯨族供養塔


・全国鯨フォーラム2016東京


・北海道新聞朝刊コラム「朝の食卓」平成11年(1999)12月23日 捕鯨遺跡


・北海道浜中町の捕鯨遺跡





日本の捕鯨法の変遷


日本の捕鯨は、江戸時代の鯨組による網取式捕鯨を頂点に、独自の形態で発展してきました。

突取式捕鯨は現代でも、比較的小型の鯨類において継続している地域もあるそうです。


【網取捕鯨】

クジラの捕獲に主として網を用いる方法です。


《断切網(たちきりあみ)捕鯨法》

クジラが入った入り江を網で締め切り、奥に追い込んで捕獲する漁法。

もともとイルカや小型クジラを対象に、原始、中世から今日に至るまで、各地で行われてきました。

対馬では15世紀初頭に、この漁法と思われる漁法により、イルカとともに「八海の大物」と記されたクジラを捕獲しています。

丹後(京都府)伊根浦では明暦2年(1656年)頃から大正時代にかけて、大型クジラの捕獲のために行われています。


《定置網捕鯨法》

漁場に固定設置された網(定置網)を用い、クジラを捕獲する漁法。

大規模な定置網が発達した戦国時代末期以降、能登や西海など各地で、主要な漁獲対象だったマグロ・ブリ以外に入り込んだクジラの捕獲が行われてきました。

文化9年(1812年)には、五島魚目の柴田甚蔵がマグロ大敷網(おおしきあみ)を改良してクジラ専用の大敷網を考案。

当時主流だった網掛突取法に比べ、経費を抑えることができたそうです。

江戸時代から明治にかけて、片浦(鹿児島県)、宇久島(長崎県)、神集(かしわ)島(佐賀県)、窪津(高知県)など各地の漁場に導入されました。



【突取捕鯨】

主として、銛や剣などの手投げの道具でクジラを突いて捕獲する方法です。

銛には刺さると抜けないよう「返り」という逆方向の角があり、付いている網で船などの抵抗物を曳かせてクジラを弱らせます。

剣は先が尖っていて、クジラを突いて仕留めます。


《突取捕鯨法》

銛と剣でクジラを突いて捕獲する漁法。

縄文時代から行われていたと考えられますが、元亀年間(1570年~1573年)、伊勢湾で専業の鯨組が行う漁法として確立。

改良されながら、安房、紀州、土佐、西海の各漁場に伝わったとのことです。


 ※写真は「生月町博物館『島の館』」のもの


《網掛突取捕鯨法》

クジラをあらかじめ網に絡ませて動きを抑えてから突取を行う、日本独自の漁法。

延宝5年(1677年)、紀州太地で確立し、土佐、西海に伝わり主要な漁法となりました。

網の張り方には、繋げて包囲する紀州式と、弓なりに張る西海式があり、古式後期にはナガス鯨を捕獲するため改良されました。


《洋式突取捕鯨法》

銛と槍(ランス)を用いる、欧米起源の突取法。

11世紀頃ビスケー湾岸のバスク地方で始まった捕鯨業で行われ、オランダ、イギリス、アメリカに伝わりました。

17世紀には、大型帆船をボートの母船と解体・加工に用いる母工船型が成立し、漁場を世界中に広げました。

日本でも幕末以降、限定的に導入されたそうです。


《アイヌ突取捕鯨法》

毒を塗った銛で突き、弱って座礁したクジラを確保する漁法。

北海道噴火湾岸のアイヌ民族が20世紀初頭まで行っていたそうです。

また5~9世紀頃オホーツク海沿岸部に居住したオホーツク人も、突取捕鯨を行っていました。



【銃殺捕鯨】

銃を用いてクジラを捕獲する方法です。捕鯨で用いる銃とは、船体に固定されない火器のこと。

一方、1846年にアメリカ人アレンが発明した「ボンブランス」は、内部に爆薬を装填した弾体(炸裂弾)です。

欧米の捕鯨では、当初、木柄の先にボンブランスをつけて直接クジラに投射しましたが、その後、木柄の先端に銛と短銃を付け、投げつけてクジラに接射するダーティングガン「ポスカン銃」や、離れたところから銃や砲などで発射する方法などが考案されました。

銃殺捕鯨法もこの一種です。

ただし欧米では、ボンブランスは概ね従来の突取捕鯨の枠内で、槍(ランス)の役割を強化するために用いられました。

幕末に日本近海で操業した欧米の捕鯨船もボンブランスを持参しており、安政4年(1857年)には北海道の松前奉行がアメリカ捕鯨船の船員と、ボンブランスについて問答したとのことです。


《銃殺捕鯨法》

捕鯨銃でボンブランスを発射して鯨に撃ち込み、捕獲する漁法。

明治15年(1882年)橘成彦の鯨猟会社が平戸島周辺で銃殺捕鯨法により捕鯨を行い、その後、西海などでも試験操業が行われました。

また関沢明清も、房総や金華山沖で捕鯨銃を用いた試験的操業を行ったそうです。

当初は、肩当て式の捕鯨銃とポスカン銃が用いられましたが、後者は程なく用いられなくなりました。


 ※写真は「生月町博物館『島の館』」のもの


<参考サイト>


・wikipedia 日本の捕鯨






《クジラの豆知識》鯨醤(くじらひしお)ってご存じ?


先日、大阪で開催された「西日本最大級の食材見本市 シーフードショー大阪2026」へ行ってきました!

そこで見かけたのが「鯨醤」。

「醤」?!ってことは醤油?!


未利用部位であったクジラの内臓などを原料に独自の「酵素速醸法」でつくられたもので、伝統的な魚醤のようなイメージ。

母船式捕鯨会社の共同船舶株式会社が開発した、世界初のクジラ発酵調味料「鯨醤」だそうで、クセが少ないのが特徴だそうです。


クジラ由来のうま味と有機酸が調和したすっきり奥深い味わいで、素材の味を引き立て、クジラの刺身との相性抜群!

他にも、カルパッチョやサラダのドレッシング、鍋ものやスープ、ラーメンの隠し味、焼きそばやチャーハン、野菜炒めの仕上げ、エスニック料理やカレー、卵かけご飯など、幅広く活用できるそうです。


私も食べたけど・・・

好き嫌いはあるかな〜

見かけたらぜひ食べてみて!


※共同船舶株式会社 「鯨醤」チラシ


<参考サイト>


・共同船舶、「ベストヘルスアワード」受賞~健康博覧会で鯨肉パワーをアピール~


・長須屋 鯨醤(くじらひしお)






《クジラの美味しい部位をご紹介⑳》食道

クジラの食道は「姫わた」とも呼ばれ、さえずりに似たコリコリした食感でクセが少ない希少部位。

味わいは舌の上でとろけるほどまろやかで、カロリーもなくヘルシーです。

水を入れた容器に食道を入れ、容器ごと冷蔵庫で1~2日間置いてゆっくりと解凍します。

ゆでて料理に使うのが一般的で、表面の脂肪と薄い膜は下処理でしっかりと取り除いて使用するのがポイントです。


<参考サイト>









《おうちでも簡単!鯨肉実践レシピ⑳》食道のゆでもの


鯨の内臓は低カロリーなヘルシー食材です。


もしかしたら手に入れるのがちょっと難しいかも知れませんが、最近はスーパーやお店でも色々な部位の販売もされているので、もし、見かけたらぜひ召し上がってみてくださいね。


食道の他、胃袋や小腸なども美味しい珍味で、捕鯨が盛んだった地域では内臓系のお肉のメニューも多いそうですよ。

鯨食で有名な観光地などでも見かけたら、ぜひ召し上がってみてください。


《食道のゆでものの作り方》

【材料】

・食道:つくりやすい量

・塩:適量(しょっぱさを強く感じるくらい)

・醤油:適量

・おろしショウガ:適量

 

【作り方】

・食道はしっかり血抜きする。

・鍋にたっぷりの水を沸騰させ、食道を入れて弱火で仮茹でし、あくを取り除く。

・あくが出なくなったら取り出して流水で洗う。

・再び、沸騰したお湯に食道を入れ、弱火でじっくり本茹でする。

・串が刺さるまでやわらかくなったら、塩で味を付け、火を止める。

・鍋のお湯ごと別の容器に移し、粗熱をとる。

・冷蔵庫で1日以上寝かせ、味をしみこませる。

・薄くスライスし盛り付けてできあがり。ポン酢やポン酢マヨネーズも合う。

 

<参考サイト>

・和食のくじらアイデアレシピ 食道の茹で物








<高浜商店の美味しいお魚>



国産ナガス 若赤肉


とっても珍しいナガス鯨の若赤肉【不定貫】です。


入手が難しくなったと言われているナガス鯨ですが、今回はさらに珍しい国産ナガス鯨の若赤肉です。「若赤肉」とは若い年齢の鯨の赤肉で、色が薄い赤色でクセがなく、お刺身やタタキにぴったりです。


レアステーキなら少し厚めに切って、お刺身や炙り、タタキなどは食べやすいスライスにすれば、その美味しさをご堪能いただけると思います!



味は脂ののった赤肉に比べて淡白ですが、お好みに合わせて生姜醤油や、ニンニク醤油で召し上がってみてください。


クセを抑える下処理などもほとんど必要ないので、鯨肉の美味しさと食感をしっかり味わっていただけると思います。


鯨肉専門店ならではのナガス鯨の若赤肉500gパック(不定貫)でお届けします。

500gブロック肉を真空包装してお届けするので、料理方法に合わせてお好みの厚さに切ってお召し上がりください。


専門店ならではの珍しい味わいをこの機会にぜひ!


<高浜商店の商品紹介>


【不定貫】国産ナガス 若赤肉





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