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北海道の興味深~いクジラの歴史と文化、っていうお話

  • kujira-takahama
  • Jul 14
  • 15 min read

Updated: Sep 21

網走と釧路は沿岸小型捕鯨の基地!

道南のお正月にはクジラ汁が欠かせへんねんて~!


まいどおおきに。

大阪の中央卸売市場で鯨肉の仲卸をやってる高浜康子です。


梅雨も明けて、夏本番!

最近、ネットのニュースとか見てたらクジラ関連のニュースばっかり上がってくる。

巷ではクジラや捕鯨関連のニュースに関心が高いんやな〜って、市場の若いにーちゃんに言うたら「それ、ネットでクジラのニュースばっかり見てるから、勝手に興味あるニュースやと思って上げてくるんですよ」やって。

なんや〜、鯨肉が人気出てきたんかと思って密かに喜んでたのに、ちゃうんかいな〜!

ちなみにそのにーちゃんがスマホの画面見せてくれたら、野球のニュースばっかりやったわ(笑)。


でも、オホーツク海で鯨漁が始まった〜とか、鯨肉が水揚げされた〜とか、競りに掛けられた〜とかのニュースを見かけるようになったのは、実際に増えてきた証拠と違うかな。

実際、一昨年くらいまでは年に2〜3回しか入ってこなかった鯨肉の生肉ですが、最近は毎月のように入ってくるようになりました。

うちにも来てくれた共同船舶㈱さんや、地元の捕鯨会社(漁師)さんが頑張ってはるんやろね〜。

新鮮な生肉が入った際には、LINEでご案内出したり、ネットショップでも販売してるんで、ぜひぜひのぞいてみてください。

注文も増えてきたしね〜。


ほんま、夏本番…っていうか、梅雨も早々に明けたと思ったら、暑すぎません?!

そこで!暑い季節を元気に乗り切るのにおすすめなのが、そう、鯨肉ですよ!

健康に良い食材として注目される鯨肉の、代表的な栄養が「バレニン」っていう抗疲労物質です。


クジラって繁殖時期の約半年間、エサを食べず不眠不休で何千キロもの距離を泳ぎ続けるんやそうです。

そのパワーの源が、筋肉に多く含まれるアミノ酸「バレニン」。

疲労物質の発生を抑える、活性酸素を除去するなどの働きがあるんやて。


今年の夏は鯨肉をいっぱい食べて、疲れ知らずで過ごしませんか?

さて今回は、北海道地方のクジラの歴史や文化について調べてみました。

ちょっと読んでみたって~。


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  ※写真はPhotoACより



【目次】





鯨食普及にも力を入れる北海道のクジラと鯨食の歴史


北海道の各地でも、クジラの化石が見つかっています。

 

札幌市南区小金湯の豊平川から2008年に発見されたクジラ化石は、約900万年前のヒゲクジラ類セミクジラ科のクジラであることが分かりました。

 

足寄町(あしょろちょう)の茂螺湾(もらわん)からは、約2800万~2400万年前のハクジラとヒゲクジラの化石が見つかっています。

 

月形町からは2015年に、約533万~360万年前の地層から、推定全長18メートル、体重30トンのナガスクジラの仲間とみられる化石が発掘されました。

 

現在、北海道でクジラとなじみが深いのは、網走室蘭函館釧路などです。

このうち網走と釧路は、沿岸小型捕鯨の基地になっています。

 

【網走】

5世紀頃、それまで北海道に住んでいた人々と大きく異なる文化を持った人々が、サハリン(樺太)からオホーツク海沿岸にやってきました。

この人々の文化を「オホーツク文化」と呼びます。

この人々は、クジラやアザラシなどの海獣をとり、大陸や本州との交易をおこなっていたそうです。

海で獲物を捕るための大きな舟や様々な技術を持ち、マッコウ鯨やザトウ鯨など体長15〜20メートルほどの大型クジラを捕ることができました。

大きなクジラの骨が豊富に手に入るため、多くの道具がクジラの骨でつくられたそうです。

網走市の「モヨロ貝塚」はオホーツク文化最大の遺跡で、クジラの骨でつくられた銛が多数発掘されています。

 

網走で捕鯨産業が始まったのは1915年で、主な対象はナガス鯨やザトウ鯨でした。

当時は油を取り、ヒゲを細工品として加工する以外はすべて肥料として売られていたそうです。

しかし乱獲で捕獲数が激減し、第二次世界大戦もあり、食糧確保のための捕鯨に留まるようになりました。

終戦後の1945年以降、小型捕鯨が盛んになり、食糧難もあって食用としての価値も見いだされ始めました。

1949年頃には少なくとも23隻の捕鯨船が活躍し、最大192頭を捕獲していたそうです。

 

商業捕鯨の禁止期間は、小型捕鯨会社が規制対象外のツチ鯨を捕獲していました。

2020年、オホーツク海沖でも商業捕鯨が再開され、2021年はミンク鯨18頭、2022年は同じく25頭が捕獲され、網走で解体・加工されたとのことです。

 

現在も沿岸小型捕鯨の基地として機能を発揮し、市と民間事業者で組織する「網走くじら協議会」により、捕鯨や鯨食に関する啓発が行われています。1993年から市内の学校給食に鯨肉を提供したり、給食に合わせてクジラに関する授業を実施したりしているそうです。


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  ※写真はPhotoACより


【室蘭】

17世紀から20世紀初頭に見られるアイヌの伝統文化では、クジラはアイヌ語で「フンペ」(フン!と音を出すものという意味)と呼ばれ、各地にクジラの伝説が残されています。

有珠のチャランケ岩には、寄りクジラの取り分を争った2人の村長が、疲れて岩になってしまったという伝承があります。

室蘭では、村人が沖にある長い岩を寄りクジラと間違え、クジラが浜に着くのをたき火をしながら待っているうちに薪を使い果たし、大切なお椀まで火にくべてしまった、という伝承が残っています。

 

アイヌの人々にとって、陸に打ち上げられた「寄りクジラ」は資源として重要視されていました。

寄りクジラを発見した村人が喜ぶさまを表現した「フンぺリムセ(鯨踊り)」は、北海道の長万部から日高、白糠までの広い地域に伝わっており、寸劇の要素も強く持った踊りだそうです。

 

またアイヌの人々は、江戸時代まで噴火湾などでクジラを捕獲していました。

その方法は、トリカブトから採った毒を先端に塗った銛で、小舟でクジラに近寄って突くというものだったそうです。

一方で、ニシンの群れを沿岸に追い立ててくれるクジラを、恵みをもたらす存在として、むやみな捕獲を避ける風習もあったとのことです。

 

その後、和人が北海道に進出し、松前藩はアイヌによる捕鯨を管理し、鯨肉を藩の産物として流通させるようになりました。

さらに明治になると、明治政府によりアイヌの捕鯨そのものが禁止されました。

 

室蘭は、北海道で最初の捕鯨拠点でした。

明治時代末期から1950年まで今の室蘭水族館の場所に捕鯨会社があり、とても繁盛していたそうで、少なくとも今から40年ほど前までは鯨ベーコンなども日常的に食されていたとのことです。


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※写真はPhotoACより


【函館】

1857年に江戸幕府がジョン万次郎(中浜万次郎)を函館に招聘し、捕鯨技術の指導を受けたことがあるそうです。

1858年には千葉県房総で捕鯨をしていた「醍醐組」が、幕府要請を受け函館付近で捕鯨をしましたがうまくいかず、1869年に撤退しています。

またペリー来航を受け1859年に開港した函館は、三陸と日本海で操業する欧米の捕鯨船の補給基地となりました。

1862年には「箱館丸」に当時最新の捕鯨銃を積み込んで、択捉島(択捉島)付近の調査捕鯨が行われたそうです。

 

その後も、函館近海で捕鯨が行われていた事実を示す記述や絵などが残っており、供養塔も建てられています。

 

函館は1999年度から2016年度まで、日本小型捕鯨協会によるツチ鯨を対象とする小型捕鯨の基地となっており、毎年5月から6月にかけて、ツチ鯨10頭を上限に捕鯨が行われていました。

 

函館市など道南地域では、正月料理として「クジラ汁」を家庭でつくる習慣が今でも根付いているそうです。


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※写真はPhotoACより 


【釧路】

釧路では、第二次世界大戦中、食糧難の対策として、沿岸でのミンク鯨の捕獲が開始されました。

当時、鯨肉のおもな消費地は古くから捕鯨が発達していた西日本で、大正末期から昭和にかけての全国的な不景気を受け赤肉が食されるようになっても、東日本ではあまり普及していなかったそうです。

 

北海道庁と北海道精肉組合連合会は道内7市で鯨肉の販売を開始し、釧路市では1941年8月2日に店頭に鯨肉が登場しました。

しかし人気がなかったためか、10月には新聞でカレーライス、カツレツ、コロッケ、すき焼きなどの調理法を紹介し、消費普及に努めたとのことです。

 

捕鯨会社も鯨肉の牛肉代用品化の研究を進めており、要請を受けた釧路水産加工食料品工業組合が鯨肉の臭みを取り除くことに成功したり、帝国水産釧路工場がクジラの尾羽を使った焼竹輪の製造試験に成功したりと、鯨肉の供給に貢献したそうです。

 

1944年と1951年には大手捕鯨会社の事業場が相次いで設立され、捕鯨が本格化しました。

主にマッコウ鯨やイワシ鯨が捕獲され、1952年~1961年の10年間は、日本一の沿岸捕獲頭数を記録しました。

市内の飲食店でクジラの刺身が提供されたり、学校給食でも鯨肉のカレーが登場したりするなど、鯨食文化が広がったのもこの頃です。

 

しかし、クジラ資源の減少と北洋母船式捕鯨業の存続を優先する政策のため、1960年代に大手捕鯨会社が相次いで撤退し、釧路での捕鯨の隆盛は終焉を迎えました。

 

一方で釧路はミンク鯨を捕獲する小型捕鯨の基地として、1953年に地元の漁業者が小型捕鯨船を買い取り、その船を用いて独自に沿岸小型捕鯨を開始しました。

夏から秋にかけては毎年日本各地から小型捕鯨船が集結してにぎわっていたそうです。

捕獲したミンク鯨を洋上の船内で解剖できたため、釧路では新鮮な鯨肉を食べることができたとのことです。

 

1987年に商業捕鯨が禁止され、釧路の捕鯨の歴史はいったん途切れましたが、2002年に釧路沖で調査捕鯨が始まったことで、捕鯨の町として再スタートを切りました。

2005年には市と漁協や市場が一体となって、商業捕鯨の再開とクジラの文化を広めることを目的に「釧路くじら協議会」が設立されました。

2019年の日本の商業捕鯨再開に際しては、沿岸捕鯨船の出港式および初水揚げが行われたそうです。

 

現在、釧路市では9月を「くじら月間」として、鯨肉普及キャンペーンやくじら祭りを開催するとともに、学校給食への鯨肉購入の支援を行うなど、クジラ文化や鯨食文化の振興・発展に取り組んでいるとのことです。


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 ※写真はPhotoACより

 

<参考サイト>


・「小金湯産クジラ化石全身骨格復元標本~組み立てバージョン初展示」活動記録


・5つの動画でわかる!札幌の小金湯産クジラ化石


・足寄動物化石博物館


・国内最大級の鯨の化石 推定全長18メートル、体重30トン


・北と南の文化が出会う—オホーツク文化・擦文文化


・名古屋大学博物館の収蔵品(11)ツチクジラ全身骨格


・捕鯨船のポーが鳴る町


・【新クジラ探訪記・釧路/網走編】(日刊水産経済新聞2023年2月13日掲載)


・アイヌの捕鯨文化


・日本の鯨肉食の歴史的変遷


・噴火湾と鯨


・学芸員とっておき秘話/10 市教育委員会・谷中聖治さん 室蘭の歴史にクジラあり /北海道


・函館と鯨


・函館市と捕鯨


函館とくじらの縁


・「釧路とくじら」について






さまざまなクジラ文化が広がる北海道地域


北海道でクジラとなじみ深い網走、釧路、室蘭、函館以外にも各地で、クジラに関連する施設や鯨信仰などの文化が見られます。

いくつか調べてみました。

 

【網走市】

5~13世紀に栄えたオホーツク文化最大の遺跡「モヨロ貝塚」からは、クジラの骨でつくられた銛が多数発掘されるなどクジラとの関わりが深い。

また網走川の河川敷には、かつての捕鯨船「第一安丸」の一部がモニュメントとして残されている。

 

【釧路市】

1944年、釧路港に捕鯨事業場が設立され、釧路は1952年から1961年の10年間、沿岸捕鯨で日本一の捕獲頭数を記録し、日本を代表する捕鯨基地として全盛を極めた。

2005年には釧路市と漁協や市場が一体となって、商業捕鯨の再開とクジラの文化を広めることを目的に「釧路くじら協議会」が設立され、鯨料理や加工品の開発、鯨学習、捕鯨史の編纂、ミンク鯨の骨格標本作りに取りかかった。

2010年からは「くじら祭り&くしろの鯨味めぐり」を開催している。

「釧路市立博物館」では、ミンク鯨の全身骨格標本や、シロナガス鯨のあごの骨などが展示されている。

 

【室蘭市】

「室蘭八幡宮」は、「鯨八幡」とも呼ばれる。

神社の造営にあたり市民からの寄付が思うように集まらなかったところ、追直浜にクジラが漂着したので、北海道開拓使に願いでて払い下げを受けこのクジラを売った代価を造営費用にしたことに由来する。

八幡宮の絵馬はクジラで、祭りの時には「鯨神の舞」という御神楽が披露される。

 

【函館市】

捕鯨船の元船長兼砲手が建立に尽力した「鯨族供養塔」には、絶滅危惧種とされるセミ鯨の模型が据えられており、年に1度、供養祭が行われる。


【白糠町】

アイヌの人々は、クジラが海岸に寄り上がったところを歌と踊りで表現した「フンぺリムセ」という儀式を通じ、クジラへの感謝を伝える。

毎年9月に行われる「フンぺ(鯨)まつり」などにおいて、「白糠アイヌ文化保存会」が演じている。

 

【伊達市】

北黄金貝塚」から出土した、クジラの骨を加工してつくられた刀が、「北黄金貝塚情報センター」に展示されている。

灰の中から出土したもので、装飾品や儀礼に使用されたと考えられている。

 

【足寄町】

「足寄動物化石博物館(フォストリーあしょろ)」では、クジラの骨格標本と化石を多く収集しており、先史時代のクジラの進化が分かる。

北海道近海に生息している現代のクジラの骨格標本で、ミンク鯨、コク鯨、ツチ鯨、マッコウ鯨、シャチ、ネズミイルカなどの標本がある。

 

【登別市】

「鷲別神社」は「鯨明神」とも呼ばれる。

1906年春、鷲別前浜に漂着した1頭のクジラの肉を、村人が近隣の村々に売り、その骨をまつる神社を建立した。

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<参考サイト>


・日本の捕鯨文化


・網走とクジラ


・「釧路とくじら」について


・室蘭八幡宮


・鯨族供養塔




・足寄動物化石博物館(フォストリーあしょろ)






北海道地域の鯨食文化について


北海道地方では、道南地域の正月料理として「クジラ汁」が欠かせないものだそうです。

一部の地域では「くじな汁」とも呼ばれます。

北海道では厳しい冬を乗り切る貴重なタンパク源として、塩蔵した塩クジラをつくり保存食としていたそうです。

塩クジラの脂身を、豆腐と山菜、ダイコン、ネギ、シイタケ、サトイモなどの野菜と醤油味で煮込みます。

江戸時代後期から明治時代にかけてニシン漁が盛んだった頃、ニシンを岸に追い込んでくれるクジラは縁起物として、ニシン漁の豊漁を祈願するため正月に食べられてきたとされます。

また「クジラのような大物になるように」と縁起を担いで、年越しや正月に食される地域もあるそうです。

現代でも、道南地域で開かれるイベントや祭りで「クジラ汁」がふるまわれることもあり、また家庭でもつくられるため、スーパーなどでは年末になると塩クジラが多く販売されるとのことです。


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 ※写真はPhotoACより


<参考サイト>


・北海道 鯨汁(くじらじる)






《クジラの豆知識》ナガス鯨の生肉が、札幌市の市場で初めて入札!


2025年6月3日、「クジラの王様」とも呼ばれるナガス鯨の生肉が、札幌市中央卸売市場で入札にかけられました。

2024年、新たに商業捕鯨の対象に追加されてから初めてオホーツク海で水揚げされたナガス鯨です。

5月25日から28日にかけて4頭が捕獲され、そのうち100キロの肉が冷凍されない新鮮なままの状態で市場に並びました。

高級な尾の部分は1キログラムあたり約10万円で落札されたとのこと。

6月3日から札幌市内のスーパーや寿司店などで提供されたそうです。


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 ※写真は札幌市中央卸売市場のイメージ※写真はPhotoACより


<参考サイト>


・史上初!オホーツク産ナガスクジラ生肉が札幌市中央卸売市場へ“1キロ約10万円”で落札 『クジラの王様』とも呼ばれるその味は…「あっさりして食べやすい」〈北海道札幌市〉


・【速報】ナガスクジラ1キロ10万円で落札 スーパーや寿司店で提供へ 札幌市中央卸売市場






《クジラの美味しい部位をご紹介⑯》赤肉

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クジラは部位によって、脂の量や食感、味わいなどが大きく異なります。

赤肉は、鯨肉の中でもっとも量が多く取れる背中からお腹にかけての部位で、赤身の中で最も筋が少なく良い部分とされてます。

くせが少ないから、初めて鯨肉を食べるという人にもおすすめ

赤肉を使ったクジラ料理の定番には、刺身やステーキ、竜田揚げなど色々ありますよね。

刺身にすると馬肉やマグロの赤身を思わせる、くせのない味わいです。

薄めにスライスして、醤油にショウガやおろしニンニクを合わせたものや、ゴマ油と塩、ワサビ醤油など、お好みの味で楽しんでみてください。


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<高浜商店の商品紹介>


【不定貫】業務用 イワシ鯨 赤肉 1級 1㎏





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《おうちでも簡単!鯨肉実践レシピ⑯》赤肉のタタキ


表面は香ばしく、中は刺身で楽しめるタタキは、赤肉でも美味しく味わえます。

中まで火が通りすぎないように半解凍の柵の状態で焼くから、解凍時間も短時間で、赤肉のレア食感を楽しめます。


《赤肉のタタキの作り方》

【材料】(1人前)

・赤肉:100g

・塩:適量

・ポン酢:適量

・付け合わせ野菜:適量

 

【作り方】

・半解凍した赤肉を、柵の状態のまま網またはフライパンに乗せる。

・赤肉の中まで火が通らないよう、表面だけをまんべんなく焼く。

・火からあげたら、厚さ1cmに切る。

・塩をふり、手で軽く叩いてなじませる。

・ポン酢をかけ、余分なポン酢は捨てる。

・食べやすく切った野菜を器に盛りつけ、赤肉を乗せてできあがり。


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<参考サイト>


・和食のくじらアイデアレシピ


くじらにく.com 鯨のたたき




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<鯨の記念碑を訪ねて>


静岡県東伊豆町稲取 鯆霊供養塔


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伊豆半島の東側にある東伊豆町。

その東伊豆町の港町 稲取にひっそりと祀られているのが「鯆霊(ほれい)供養塔」です。

鯆」という字はイルカを表しますが、資料にはイルカだけでなく、マグロ類やゴンドウ鯨も含めた大魚の意味があるとのこと。

昔から伊豆半島ではイルカ漁が盛んで、この供養塔の他にも6基のイルカ碑があるそうです。

全国にある鯨塚などの供養塔は近代捕鯨が盛んになる明治以降に建立されたのものが多い中、この供養塔は1827年(文政10年)に建立された歴史のある碑といわれています。

随分昔からイルカ漁がおこなわれてきたことが分かりますね。


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資料によると1847年の大時化で塔と台石が流されたんやって。

で、後日、漁師さんが流された碑を見つけて改めて建てられたそうです。

海近にある慰霊碑はそんな災難にも多く見舞われてるんやろね〜。


鯨肉もいただくときは、しっかり感謝していただきたいと思います。


鯆霊供養塔

住所:静岡県賀茂郡東伊豆町稲取353


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