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九州の奥深~いクジラの歴史と文化、っていうお話

  • kujira-takahama
  • Jan 14, 2024
  • 16 min read

Updated: May 19

九州各地で、鯨肉が日々の食生活に根付いてるんやて!

信仰やお祭り、工芸品など、奥深~いクジラの文化も!


まいどおおきに。大阪の中央卸売市場で鯨肉の仲卸をやってる高浜康子です。


1月1日の「能登半島地震」、大阪でもかなり大きな揺れで、ほんとビックリしました。

被災された方に心よりお見舞い申し上げます。

一日も早く復興することを願ってます。

能登はお魚も美味しいところです。

水産業に携わる方々が、また元気に魚を届けてくださる日を心より願っております。


新年最初のブログです。

今年もクジラや魚のことを勉強しながら、なるほど~と思ってもらえるようなことをいろいろ書いていこうと思うんで、どうぞよろしくお願いしますね。

鯨専門店っていいながら、鯨のことまだまだ知らんこと多いわ。

最近もご注文で、本皮がとっても多いんですよ。

しかも日本全国から(驚)!

個人的には赤肉が好き何やけど、本皮の魅力とかもっと知りたいです。

美味しい食べ方とかご存じの方、教えてくださいね。

美味しいものをいただける日々に感謝です。

赤肉もたくさんの方に食べていただけたら嬉しいです。


さて前回は日本のクジラの歴史と文化を調べてみたんですが、

今回はその中で、九州にスポットライトを当てて色々と調べてみましたよ。

ちょっと読んでみたって~。


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【目次】




今も九州に残る貴重な日本のクジラ文化


日本人とクジラの関わりは縄文時代にまでさかのぼるってお話は何回か書きましたよね。


漂着したクジラを海の恵みとして活用することから始まり、奈良時代以降は捕鯨が行われるようになりました。

手銛による捕鯨が始まったのは12世紀頃で、江戸時代初頭には、各地で産業としての捕鯨が行われるようになりました。

九州では、鯨はすべて大村湾にある東彼杵(ひがしそのぎ)に水揚げされ、そこで解体されたものが九州各地へ運ばれました。

その中でも長崎は、お金持ちが多く裕福で、距離も一番近かったため、最も良い部位が新鮮な状態で届いたそうです。

そのため長崎では「クジラは旨い」という認識が広まり、他の地域では見られないほど鯨食文化が発展し、長崎は今でも鯨肉の消費量日本一を誇ります。

長崎県下は当時の古式捕鯨の中心地で、壱岐・対馬・五島・平戸の各地に漁場が点在し、多くの鯨組(捕鯨を行う組織)が操業していました。

捕鯨業は江戸時代最大の産業であり、沿岸住民に多くの雇用を生み出したため、「クジラ一頭で七浦が潤う」と言われるほどだったそうです。


佐賀県唐津市呼子町もまた、国内有数の捕鯨基地としてにぎわった町です。

「鯨組主中尾家屋敷」からも当時の繁栄ぶりが見られるようです。


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<写真>PhotoAC「鯨組主中尾家屋敷」より 


<参考サイト>


・捕鯨の歴史





九州のクジラの歴史


クジラは縄文時代から、食用としてだけではなく、骨は道具や工芸品の材料に、油は灯油や食用油に、など幅広く利用されてきました。

長崎県田平町にあるつぐめの鼻遺跡で、縄文時代早期、鯨類捕獲や解体に使われたとみられる石銛や石器が出土しています。

また長崎県対馬市の佐賀貝塚からは、クジラの骨で作った道具が出土しています。


縄文時代早期末の紀元前4000年頃には、平戸瀬戸で石製銛先を装着した銛を用いた突取捕鯨が行われていたと考えられます。

九州各地の縄文時代中期の遺跡で、鯨類の椎骨を製作台にした「鯨底土器」が出土しています。

またマッコウクジラやイルカの歯は、垂飾りの装身具として身に付けられていたことが分かっています。

 

長崎県壱岐の原の辻遺跡から、弥生時代の、クジラ骨を素材とした骨角器、捕鯨の様子とみられる線刻画が描かれた土製の壷、クジラを描いた土器が出土しています。

クジラを描いた土器はこの他、福岡県糸島市の深江城崎遺跡からも出土しています。

 

奈良・平安時代に太宰府への食料貢納の義務を負った厨戸(くりやど)の集落であると推定されている、海の中道遺跡からは、クジラ骨を利用した骨錘や、クジラの肩甲骨を利用した骨角器未製品が出土しています。

骨錘は、穴の一方に針をつけ一方を紐に結んで疑似餌として使われ、骨角器未製品は骨角器をつくるための原材料だったと考えられています。

 

江戸時代、九州では、クジラはすべて東彼杵に水揚げされ、そこで解体されたものが九州各地へ運ばれました。

長崎県下は当時の古式捕鯨の中心地で、壱岐・対馬・五島・平戸の各地に漁場が点在し、多くの鯨組(捕鯨を行う組織)が操業していました。

佐賀県唐津市呼子町もまた、国内有数の捕鯨基地としてにぎわいました。

 

近代捕鯨としては、1897年(明治30年)長崎市在住の英国人貿易商が英・露人組合を結成して捕鯨を行ったのを始めとし、その後も組織的に五島近海などで捕鯨が行われました。

 


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<参考サイト>


・捕鯨の歴史、後世に 唐津・呼子の遺構を訪ねてみた


・長崎と鯨


・土の中のクジラ


・クジラと筑豊の深~い関係


・国内2例目 クジラ描いた弥生土器見つかる 糸島市の遺跡


・長崎名物 くじら料理


・補章 鯨とのお付き合い




九州各地にはさまざまなクジラ文化が広がっています


九州の各地で、クジラに関連する施設や鯨信仰などの文化が見られます。

インターネットで調べると色々あるもんですね。

 

【鹿児島県南さつま市】

2002年(平成14年)に小湊干拓海岸に座礁した14頭のマッコウ鯨の内1頭を骨格標本として永久保存し、後世へ座礁の記録を残すために建設された「くじらの眠る丘」。

1階の前面がガラス張りでクジラの骨格全体を見渡せ、2階のロフトからは骨格を見下ろせる造りになっている。


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【宮崎県宮崎市佐土原町】

5月の風物として、こどもの日に「こいのぼり」ならぬ「くじらのぼり」が揚げられ、「くじらようかん」が親しまれている。


鯉のぼりでなくクジラを揚げている理由は、江戸時代にこの土地を治めていた佐土原藩主島津忠高の妻が、「1歳の息子が大海を泳ぐクジラのようにたくましく育ちますように」との願いを込めて、城下の菓子職人に「くじらようかん」をつくらせたという謂れからとのこと。

現在は地域の商工会青年部がまちおこしの一環として20年ほど前から揚げているという。


「くじらようかん」は、江戸時代に誕生して以降、代々受け継がれてきた銘菓。賞味期限が短いためなかなか県外では食べられないとか。


宮崎に行った際にはぜひ食べたいもの。



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<写真>PhotoAC「くじらのぼり」より 



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<写真>PhotoAC「くじらようかん」より 



【長崎県長崎市】

諏訪神社の秋季大祭「長崎くんち」での万屋町(よろずやまち)の奉納踊りが、日本の古式捕鯨を表現した「鯨の潮吹き」。

1778年(安永7年)、たまたま町内に来ていた前唐津呼子浦の鯨組の者の勧めにより奉納されたことが始まりとされる。

クジラの姿をした曳物と、船頭船、納屋の曳物で構成され、クジラとの格闘から捕獲、クジラを町に持ち帰るまでの様子が演じられる。



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<写真>PhotoAC「長崎くんち 龍踊」より 

 

【長崎県東彼杵町】

かつてクジラの水揚げ地として賑わった「彼杵港」の近くにある道の駅「彼杵の荘」。

1694年に開港した彼杵港には 「元禄船着場跡」の碑が残っている。

五島沖で捕れたクジラが彼杵港に運ばれ九州各地に送られていたので、港周辺は大いに栄えたとのこと。

こちらではその時の名残として、食事処では鯨肉が入っただご汁定食や、炊き込みご飯など郷土色豊かな鯨料理を味わうことができる。



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【長崎県新上五島町】

「海童神社」の鳥居は、東シナ海で捕獲された体長18.2mのナガス鯨のあごの骨でできている。

1973年(昭和48年)に日東捕鯨株式会社によって奉納されたが、記録によれば現在の鳥居は三代目であり、それ以前は何で作られていたか判明していない。



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<写真>PhotoAC「五島列島 新上五島町 蛤浜」より 

 

【長崎県平戸市】

古式捕鯨の様子を歌う「生月勇魚捕唄(いきつきいさなとりうた)」は、太鼓の音に合わせた特徴的な歌い方で、地元の婚礼や新築祝いで披露されることも。

神々とクジラの強いつながりが表現されている。

 

また、生月町にある博物館「島の館」では、江戸時代から明治中期にかけて日本最大規模の鯨組であった「益冨組(ますとみぐみ)」の捕鯨の様子を再現したジオラマが展示されている。


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<写真>PhotoAC「平戸城」より 


【大分県杵臼市】

市内にはクジラの墓が5つ見られる。

その中で大泊では1870年(明治3年)、漁港を作るため大きな借金を抱え財政が逼迫していた時、流れクジラを捕獲し、これが高値で売れたため借金を返済することができた。

それに感謝し供養した墓といわれる。

 

【佐賀県唐津市呼子町】

佐賀県指定重要文化財である「鯨組主中尾家屋敷」は、江戸時代に鯨組主として巨万の富を築いた中尾家の屋敷として建てられた建物で、捕鯨で栄えた港町呼子の繁栄を今に伝える歴史的建造物。

 

また1831年(天保2年)に中尾家が、クジラの捕獲頭数が千頭になった記念に建立した「鯨鯢(げいげい)千本供養塔」がある「龍昌院(りゅうしょういん)」や、中尾家が奉納した神輿が残る「呼子八幡神社」などもある。

 

小川島には鯨見張り所や供養塔が残っており、クジラの解体時に歌った「小川島鯨骨切り唄」が今も歌い継がれているとのこと。

 

【クジラを使った工芸品】

長崎県長崎市の「くじら工芸」では、マッコウクジラの骨や歯を使い、職人が手作業で置物やアクセサリーなどの工芸品を製作している。

マッコウクジラは現在ワシントン条約で捕鯨を規制されており、技術の継承面からも貴重なものとなっている。


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<写真>「くじら工芸」様にご許可をいただいて撮影した工芸品の写真 

 

<参考サイト>


・農林水産省[Guide]鯨ゆかりの地を巡ってみよう 全国「鯨」マップ


・くじらと人のつながり


・こどもの日を前に「くじらのぼり」揚げられる 宮崎 佐土原町


・長崎の秋季大祭『長崎くんち』が4年ぶりに開催!7年に1度の「鯨の潮吹き」とは


・新上五島町観光物産協会 海童神社


・生月町博物館『島の館』学芸員の中園成生さんinterview


・鯨の墓 杵臼市役所


・鯨組主中尾家屋敷(佐賀県指定重要文化財)/呼子


・捕鯨の歴史、後世に 唐津・呼子の遺構を訪ねてみた


・クジラの街・長崎で職人技により今もなお生まれ続けるクジラ工芸品


・長崎「くじら工芸」マッコウクジラを使った貴重な工芸品製作の舞台裏


・長崎『西海の鯨伝説・民話』




本当に多彩な九州の鯨食文化


捕鯨が盛んであった土地柄、九州各地で鯨食文化が今でも根付いています。

本当にいろいろな部位を食べられるし、いろいろなお料理があるんです。

九州に行かれた際には、ぜひぜひ召し上がってみてください。


【鹿児島】

お正月に「大きいものを食べて邪気を払う縁起物」として鯨肉を食べる習慣があるそうです。

スーパーでは年末年始、尾びれを薄くスライスしてゆでた「尾羽(おば)」や「さらしくじら」が並びます。白い見た目が雪や花のように見えることから「おば雪」や「花くじら」とも呼ばれるそうです。酢味噌やポン酢で食します。

 

【長崎県長崎市】

長崎はクジラの消費量が日本一で、名物の「卓袱料理(しっぽくりょうり)」にもクジラが使われています。

江戸時代、裕福な長崎市中の人々の間では、軟らかい畝須や本皮など、脂身の多い「白手物」と呼ばれる部位が好まれたそうです。

当時、畝須から硬い須の子を除いた「畝」は頬肉とともに最上級の部位だったとのこと。

現在でも長崎市内には、大皿に白手物を盛り付けた正月料理が残っています。

鯨は「勇魚(いさな)」とも呼ばれるほど、雄々しく特別な存在だったため、それを食べるのは縁起がいいとして、お祝いごとの食卓に上ります。

お正月には、鯨の料理を揃えたおせち料理を入れた重箱「鯨重」や、畝須を入れた「鯨雑煮」、鯨の小腸を茹でた「百尋(ひゃくひろ)」などの鯨料理が供されます。

他にも、節分には皮を刻み入れた「なます」、暑い夏には酢味噌で食べる軟らかく白く縮れた「おばいけ」(尾びれの脂身)などが食習慣として残っています。


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【長崎県東彼杵郡東彼杵町】

東彼杵町は、江戸~大正時代まで300年以上の間、クジラの集散地として栄えた町です。

一般家庭に欠かせないメインの食材として、鯨食が煮物や揚げ物、炊き込みご飯などに根付いています。

地元のソウルフードとも言えるのが「湯かけクジラの酢味噌あえ」。

日もちのする塩蔵クジラの皮(脂肪)を丁寧に塩抜きしたうえで、湯引き・薄切りにして酢味噌であえた料理です。

やわらかい脂のうま味がクセになるとのこと。

 

【佐賀県唐津市呼子町】

明治時代、鯨組の出資者の妻であった山下ツルが、鯨の部位の中でも利用価値の乏しい「かぶら骨」と呼ばれる軟骨を酒粕に漬け込み、誕生させたのが、珍味「松浦漬」。

捕鯨をめぐる状況が厳しくなった現在でも、伝統の味が受け継がれているそうです。


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<写真>PhotoAC「松浦漬」より 

 

【福岡県飯塚市内野】

年末のもちつきが終わった夜に「年とりもち」の料理を食べる風習があり、もちの他に「おばいけ」を入れた鯨汁「年とりクジラ」と「年取りイワシ」が食卓に並びます。

これは最小と最大の魚を食べるという意味があるのだそうです。

 

【福岡県田川市】

「風治八幡宮」では、川渡り神事の際、神主たちに「おばいけの酢味噌あえ」をふるまうのが近年までのしきたりだったそうです。


<参考サイト>


・お正月に食べるクジラとは!?日本各地のクジラ料理をご紹介


・【クジラ探訪記③】長崎県・長崎市(日刊水産経済新聞2021年12月23日掲載)


・【クジラ探訪記②】長崎県・東彼杵町(日刊水産経済新聞2021年12月13日掲載)


・松浦漬本舗について

・長崎 伝統料理の魅力と謎




《クジラの美味しい部位をご紹介⑧》小腸(百尋)


別名「百尋(ひゃくひろ)」。

尋(ひろ)は昔日本で使われた長さの単位で、両手を広げた長さのこと。

クジラの小腸は百尋もあるほど長い、というところから名付けられたそうです。

縁起物とする地域もあります。

下ごしらえのポイントは、裏返して何度も真水で臭み抜き・血抜きをすること。

ひだの部分に腐敗物がたまっているので、きれいに洗い流します。

裏返しの状態でボウルに入れて、たっぷりの塩で5分程度よくもみます。再び流水でよく洗い流し、色が白っぽくなったら血抜き完了。

表側に戻します。

内部に血が残ったままだと、ゆでた時に血が固まって黒ずみ、血生臭さが残ってしまうので、血抜きはしっかり徹底的に行いましょう。

ボイルしたものを薄く輪切りにして、ぽん酢や酢味噌で食べると美味。独特のコリコリした食感と風味が味わえます。


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<参考サイト>


・クジラ肉の豆知識


・くじら肉の部位と名称、料理の例




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《おうちでも簡単!鯨肉実践レシピ⑧》小腸のゆでもの


内臓は低カロリーなヘルシー食材。小腸の他、胃袋や食道なども美味しい珍味です。


《小腸のゆでものの作り方》

【材料】

・小腸:つくりやすい量

・塩:適量(しょっぱさを強く感じる程度)

・醬油:適量

・おろしショウガ:適量

 

【作り方】

・鍋にたっぷりと水を張って沸騰させ、血抜きした小腸を入れる。

・弱火で仮ゆでしてアクを取り除き、アクが出なくなったら取り出し、流水で洗う。

・再び、沸騰したお湯に小腸を入れ、弱火でじっくり本ゆでする。

・串が刺さるまでやわらかくなったら、塩で味付けをする。

・しょっぱさを感じる程度に味が付いたら火を止め、鍋の水ごと別の容器に移して粗熱を取る。

・冷蔵庫で1日しっかり寝かせ、味を染み込ませる。

・薄くスライスして盛り付け、できあがり。ショウガ醤油や、ポン酢などお好みで。


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《クジラの豆知識》クジラの種類


世界には84種類の鯨類が発見されており、日本周辺の海には40種類の鯨類が生息していると考えられています。

一時は絶滅危惧のある哺乳類として捕鯨が禁止され、基本的には捕鯨はおこなわれていませんでしたが、鯨食文化が禁止されていたわけではありません。

IWCに属さず、捕鯨管理をおこないながら捕鯨を続ける外国からの輸入などにより、鯨食文化は続けられてきました。


2019年に日本はIWCから脱退し、独自の調査・管理の下に商業捕鯨を再開しています。

水産庁 資源管理部国際課のホームページによれば

( 1 )鯨類資源は重要な食料資源であり、他の生物資源と同様、最良の科学事実に基づいて、持続的に利用されるべきである。

( 2 )食習慣・食文化はそれぞれの地域におかれた環境により歴史的に形成されてきたものであり、相互理解の精神が必要である。

として、個体数が回復し比較的数の多いといわれる種の捕鯨をおこなっています。


ただ、過度な保護により個体数が増えすぎているということも指摘されています。

日本近海ではクジラは海の生態系の中で頂点に位置しており、カタクチイワシやサンマ、スケトウダラ、サケ、イカなどの商業漁業対象種をクジラが食べてしまうことが、漁業に深刻な影響を与えているともいわれ、海洋生態系のバランスを保つために、一定量のクジラを持続的に利用することが大切だと考えられています。


そうした中で現在、食用として流通されている主なものは、「ニタリ鯨」「イワシ鯨」「ミンク鯨」と「ナガス鯨」です。他、代表的なものをいくつか紹介します。

 

【ニタリ鯨】

日本近海で捕鯨され食べられている種類のひとつ。

背と胸びれのまわりは暗い灰色、腹は明色をしている。頭の中央に盛り上がった隆起線が3本ある。


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<写真>2022年10月14日 35年ぶりに大阪市中央卸売市場本場に生ニタリ鯨が上場

 

【イワシ鯨】

日本近海で捕鯨され食べられている種類のひとつ。

直立した背びれが鎌型で大きく、口先から4分の3の位置にある。

頭部は狭いV字形で、高く盛り上がった稜線が1本ある。

エサは主にイワシなどの群れで泳ぐ小魚で、オキアミ類なども食べる。

 

【ミンク鯨】

日本近海で捕鯨され食べられている種類のひとつ。

ナガスクジラ科の中で最小種で、胸びれに白色の帯模様がある。

エサは生息海域によって異なるが、ハダイワシやサンマなどの群れで泳ぐ魚が主。

海域によってはオキアミ類を食べる。

北海道東部沖ではスルメイカを食べることも。

【ナガス鯨】

シロナガス鯨の次に大きな種類。

右側の下あごは白色だが、左側は背中と同じく濃い灰色をしている。

エサは主にオキアミ類などの動物プランクトンで、小さな魚やイカ類なども食べる。

 

【マッコウ鯨】

ハクジラの中で最大種で、脳の大きさは哺乳類最大とのこと。

骨や歯から工芸品がつくられる他、厚い脂皮や頭部から油が採れる。

また腸から採れる竜涎香(りゅうぜんこう)は香水の原料として使われる。

主に深海にすむイカを食べ、海の底にすむメヌケなどの魚を食べることもある。


【ツチ鯨】

日本の海でとって食べている種類のひとつ。

下あごの先端に、三角形の大きな歯が2本ある。

深海にすむイカ、魚類(メヌケ、アンコウほか)を食べる。

【セミ鯨】

人が捕鯨対象とした最初の大型クジラで、日本沿岸では10世紀頃から捕獲されていた。

ずんぐりとしたなめらかで黒い体をしており、頭に不規則な白っぽい斑点があるのが特徴。

目や下あご、頭部にこぶ状の隆起がある。


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<参考サイト>


・水産庁資源管理部国際課



・日本で食べられているクジラ


・くじら豆知識


・ハクジラ・ヒゲクジラ大辞典


・捕鯨問題の真実





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